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大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)4927号 判決 1971年12月07日

原告

松野冝文

代理人

松田英雄

外一名

被告

右代表者

前尾繁三郎

代理人

川村俊雄

外四名

被告

三重県

右代表者

田中覚

代理人

吉住慶之助

外四名

被告

熊野市

右代表者

坪田誠

代理人

土橋修丈

主文

被告らは各自原告に対し金七〇〇万円及びこれに対する被告国は昭和四四年一〇月一三日以降、被告三重県、同熊野市はいずれも同年同月一四日以降、各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、他の一を被告らの連帯負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

ただし、被告らにおいて、各金二〇〇万円の担保を供するときは、それぞれその被告につき右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

原告訴訟代理人は、「(一)被告らは各自原告に対し金三〇六〇万円及びこれに対する被告国は昭和四四年一〇月一三日以降、被告三重県、同熊野市はいずれも同年同月一四日以降、各完済まで年五分の割合による金員を支払え。(二)訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに第(一)項について仮執行の宣言を求め、

被告ら訴訟(指定)代理人は、いずれも「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求めた。

第二  当事者の主張並びに答弁

(原告主張の請求原因)

一  原告は、株式会社いづも電化に勤務するメッキ工であつたが、右会社の慰安旅行で、一行約二〇人と共に昭和四三年一〇月三〇日午前一一時頃から三重県熊野市所在吉野熊野国立公園特別地域の鬼ケ城を観光中、右鬼ケ城は東西約一キロメートルにわたつて陸地から南に突き出た岬で、一般観光客に高い岩壁から海面及び岩壁の景勝を回遊しながら眺望させる目的で、高さ約二〇ないし三〇メートルの絶壁の中腹に岩壁をけずつて、僅か巾員七〇ないし八〇センチメートルの通路(以下「本件周回路」という)が造られており、原告は右周回路を東口から入り西方に約二〇〇メートル行つたところで引き返し、東口に向つて歩いていたところ、同日午前一一時三〇分頃通称「犬もどりの橋」より約三〇メートル西方にある絶壁の亀裂にかけられたコンクリートのかけ橋(以下「本件かけ橋」という)から転落し、約五メートル下の岩場に打ちつけられ、背髄損傷兼仙部巨大褥瘡の傷害をうけ、その結果下半身麻痺、膀胱、直腸麻痺等の後遺症を生じ、生涯回復の見込みのない状況にある。

二  原告の右転落は、本件周回路の設置、管理の瑕疵によるものである。すなわち、原告が転落した本件かけ橋は、通称千畳敷と言われているところから西へ約一三〇メートルのところにあり、絶壁の割れ目にかけられていて、海に面した方の長さは約二メートル、山に面した方の長さは約一メートル巾員僅か八〇センチメートル程のコンクリート造りの橋である。そして、橋の海に面した方には鉄製の柵が設けられているが、山に面した方には柵が設けられておらず、しかも、この橋から西行きの周回路は橋から急に右に折れ曲つており、したがつて、反対に西方から東口に向つて歩いてくる場合は、橋のすぐ近くに来なければ橋の状況は見通せない状態であり、柵のない山側は恰かも落し穴のような状態になつていた。

原告は、本件周回路を西方から東方に向つて歩行中、本件かけ橋の柵のない方から足を踏みはずして約五メートル下の岩に転落したもので、かかる危険な箇所には当然柵が設けられるべきである。したがつて、本件周回路(本件かけ橋)は通常具備すべき安全性を欠いていたもので、その設置、管理に瑕疵があつたというべきである(ちなみに、本件事故後被告熊野市によつて直ちに柵が設けられた)。

三  本件周回路の設置管理者は被告らである。

(一) 被告国について

(1) 本件事故現場は、国立公園特別地域になつているので、被告国に国立公園事業につき執行の責任がある(自然公園法一四条、一七条)ところ、その管理に瑕疵があつたため本件事故が生じたものである。

国立公園は、いうまでもなくすぐれた自然の景勝を保護するとともに、その利用を図つて国民の保健休養及び教化に資することを目的とするものであるから、その目的は自然の景勝の保存と改良と一般国民に自然の景勝を観賞させレクリエイションに役立たせる目的を有するものである。それ故、事業者たる国は、国民が国立公園を観光するに当り、生命、身体に危険のないように安んじて観光できるよう危険防止のための安全な措置を講じて置くべき義務がある。

(2) 本件国立公園の鬼ケ城は、熊野市及び観光業者の観光客誘致宣伝と、交通の便がよくなつたため、観光客は昭和四三年四月頃から急増し、観光シーズンには多い日で七、八千人、少い日でも一千人を下らない状況であつた。

本件周回路は、前記のように一般観光客のために被告熊野市が国及び三重県の承認の下に設置したもので、とくに本件かけ橋の山側に柵が設けられていないという危険な状態について、観光客の増加につれて地元関係者及び観光客から早急に安全な防護柵を設置するよう指摘されており、本件事故発生までに、本件周回路において観光客が波にさらわれたり岩場に転落した事故は三十余件にのぼつていると言われているところである。

(3) 以上により、本件周回路につき、被告国は国家賠償法二条にいう設置、管理の責を負うものである。

(二) 被告三重県について

(1) 被告三重県は、吉野熊野国立公園内の前記鬼ケ城に関する国立公園事業の執行に関し、厚生大臣から次の承認を受けている。

(イ) 承認名 鬼ケ城周回路道路事業執行承認

承認年月日 昭和二九年一一月二五日

承認の範囲 鬼ケ城東入口から483.5メートルの改修(歩道、広場、梁桁橋等)

(ロ) 右の承認事項変更承認

承認年月日 昭和三三年一一月五日

承認の範囲 鬼ケ城東入口から729.4メートルの改修(コンクリート階段、橋梁等)

(2) 被告三重県は、右のとおり国から本件周回路の設置管理について承認を受けているにかかわらず、危険な本件かけ橋に柵を設けず、その他なんらの危険標識も設置しなかつたものである。

(3) 以上により、本件周回路につき、被告三重県は国家賠償法二条にいう設置管理の責を負うものである。

(三) 被告熊野市について

被告熊野市は、三重県から事実上鬼ケ城の管理をまかされており、本件かけ橋も被告熊野市が架設したものである(同市の観光課は、本件周回路による観光を「スリルが魅力」として、観光客の誘致に努めていた)。

したがつて、本件周回路につき、被告熊野市は国家賠償法二条にいう設置管理の責を負うものである。仮りにそうでないとしても民法七一七条により土地の工作物(本件周回路)等の占有者として責を負うものである。

四  本件事故により原告の蒙つた損害は次のとおりである。

(一) 得べかりし利益(金一三、五三六、〇〇〇円)

原告は、前記後遺症により次のとおり将来得べかりし利益を喪失した。

(訴提起時) 三一才

(労働可能年数) 三二年

(収益) 事故確当時月収六万円

(労働能力喪失率) 一〇〇%

(年五分の中間利息控除)ホフマン複式(年別)計算による。三二年間の係数は18.8である。

その計算式

60,000×12×18.8=

(月収) (年)

13,536,000

(二) 付添費(一一、六六四、〇〇〇円)

原告は一生半身不随であつて付添看護が必要なところその付添費用は次の通りである。

(付添費一日分) 一、五〇〇円

(平均余命)   40.56才

(年五分の中間利息控除)

ホフマン複式(年別)計算による。

四〇年間の係数は21.6である。

その計算式

1,500×30×12×21.6=

(付添費一日分)(月)

11,664,000

(三) 雑費(四〇〇、〇〇〇円)

原告の姉が原告の為に本日まで支出した治療関係諸雑費約四〇万円も原告の損害として請求する。

(四) 慰藉料(五、〇〇〇、〇〇〇円)

原告は妻(二六才)と長男(二才)の家族を有し本件事故まで幸福な家庭生活を営んでいたが本件事故により下半身不随となり大小便の排泄まで人の手をかりねば出来ないし男性の機能も喪失し廃人同様の悲惨な状態に陥入つた。

故にその精神的苦痛に対しては金五〇〇万円をもつて相当とする。

五 よつて、被告等に対して各自前記損害金合計三〇、六〇〇、〇〇〇円及び之に対する訴状送達の日の翌日すなわち、被告国に対しては昭和四四年一〇月一三日、被告三重県及び被告熊野市に対しては同年同月一四日以降各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告国の答弁並びに主張)

一  答弁

(一) 原告主張の請求原因第一項記載の事実のうち、原告主張の日時、場所に原告が転落した事実、いわゆる名勝鬼ケ城附近の地形、本件かけ橋の形状(ただし、海側の長さ2.31メートル、山側の長さ1.2メートル、巾員0.875メートル)及びの周辺の状況については認める。

事故時の状況(原告が本件かけ橋から転落した事実をふくむ)及び傷害の程度については不知。

(二) その余の原告主張の事実はいずれも争う。

(三) 原告の本件転落事故について被告国に責任はない。

(1) 本件かけ橋は、被告三重県の設置管理にかかる営造物であり、被告国の設置管理する営造物ではない。すなわち、三重県は、自然公園法一四条二項にもとづき、公園事業の一部として、昭和二九年八月一三日本件かけ橋の設置を含む鬼ケ城周回線道路事業の執行の承認を厚生大臣あて申請してその承認をうけ、ついで昭和三三年一〇月九日その変更を同大臣あて申請してその承認をうけ、右事業を執行したものであつて、本件かけ橋は右の事業による施設の一部である。したがつて、本件かけ橋を含む右周回線道路は事業執行者たる被告三重県に帰属し、かつ、その管理に属するものである。(自然公園法施行令七条ないし一七条及び二〇条)。

(2) 本件かけ橋には、その設置管理上瑕疵はない。すなわち、自然公園の性質上、できるだけ人工を排し、工作物を設置する場合は必要最少限度に止めることが要請されている。

鬼ケ城は、自然の崖に生じた名勝であり、本件周回路(とくに本件かけ橋)については、海側に柵を設け、反対側には柵を設けていなかつたが、通常の注意をして歩行すれば転落する危険はないのである。このことは、多数の観光客があつても、転落事故が殆んどないことからも首肯されるのである。

二  主張(抗弁)

仮りに本件周回路の設置管理に瑕疵があり、被告国がその責を免れないとしても、原告の本件かけ橋からの転落は、原告にも重大な過失がある。したがつて、このことは損害賠償額について斟酌されるべきである。

(被告三重県の答弁並びに主張)

一  答弁

(一) 原告主張の請求原因第一項記載の事実のうち、原告主張の日時、場所にある本件かけ橋から原告が転落し負傷したこと、名勝鬼ケ城の地形及び本件周回路が設置されていることはいずれも争わない。事故時の状況(原告が本件かけ橋から転落したのは歩行中足を踏み外したためであるとの点)は否認、傷害の程度については不知。

(二) その余の原告主張の事実はいずれも争う。ただし、請求原因第三項記載の事実のうち、被告三重県が、昭和二九年一一月二五日厚生大臣から鬼ケ城周回線道路事業の執行の承認を受けたこと、昭和三三年一一月五日右の承認事項の変更承認がなされたこと、は認める。

(三) 原告の本件転落事故について被告三重県に責任はない。

(1) 本件かけ橋には、その設置管理に瑕疵はない。すなわち、本件かけ橋には原告が主張するとおり海側には柵を設けたが、山側には設けられていなかつた。しかし、鬼ケ城は、海岸のスリルを魅力とする自然資源であるから、国立公園施設としては、このような自然資源をできるかぎり自然の姿のままで保存、利用するのが法律の趣旨であつて、利用者のための安全施設、その管理には、右の自然環境の中にあつて、その特殊性を認識するかぎり(通常人の感覚、判断をもつてすれば、何人も前記のような特殊性を直感的に自得できる。すなわち、一般道路の歩道を漫然通行するような通行のしかたは極めて危険であることは容易に知られる)、右環境、状況、目的に相応する注意を払うべきであることは当然である。右のような特殊性を考慮したうえ、具体的に通常予想される危険の発生を防止するに足ると認められる程度のものを必要とし、かつ、これをもつて足り、本件かけ橋の海側にのみ柵を設けたことによつて右要請はみたされているものである。原告の主張によると、鬼ケ城の観光客は多い日で七千ないし八千人、少い日でも一千人を下らないということであるが、これほど多数の観光客があるのに、本件かけ橋から原告のように転落した者は他に一人もおらない。しかも右かけ橋の山側に柵がないのは危険であるとの観光客や関係者の声を聞いたことがない。これらの事実は、本件かけ橋の設置管理になんら瑕疵がなかつたことを実証するものということができる。

(2) 原告主張の転落原因、状況等について、左記のごとき疑惑が存する。

(イ) 同行した十数人のうち、原告のみが転落したこと。

(ロ) 本件かけ橋の手前において、一見すれば山側に柵のないことが自然にわかること。

(ハ) 原告は帰途において転落した(往路の際、当然山側に柵のないことを知つた筈である)こと。

(ニ) 歩行中転落したというのであるから、転落後の姿勢はうつ伏せか、足から先に着地する筈であるのに、背中を負傷したのは仰向けの姿勢で転落したものであるといえること。

(ホ) 原告は、サックのついていない写真機をもつていたか、又は右の状態の写真機が転落場所に落ちていたともいわれているが、そうであれば、原告は同行者を撮影しようとして、後向きになつて誘導していた疑いがある。

(ヘ) 原告は転落当時飲酒していた疑いがある。

(ト) 原告は強い近眼であり、眼鏡が適度でなかつた疑いがある。

(チ) 原告にはてんかんの疑いがあり、発作による事故ではないかとの疑問がある。

二  主張(抗弁)

仮に本件かけ橋の設置管理に瑕疵があつたとしても、原告の転落は前記のとおり同人の重大な過失によることは明らかである。そして原告の過失の割合は九九パーセントと評価されるべきであり、賠償額について右割合による過失相殺がなされるべきである。

(被告熊野市の答弁並びに主張)

一  答弁

(一) 原告主張の請求原因第一項記載の事実のうち、原告主張の日時、場所に原告が転落した事実及び原告主張のとおり鬼ケ城に東西約一キロメートルの周回路が存在していることは認める。その余の事実(原告が本件かけ橋から転落した事実をふくむ)は不知。ただし、本件周回路及び本件かけ橋の形状、立地状況(主として危険性)については原告の主張を否認する。

(二) その余の原告主張の事実はいずれも争う。

(三) 原告の本件転落事故について被告熊野市に責任はない。

(1) 鬼ケ城公園事業の執行主体

自然公園法の定めるところによると、国立公園の保護または利用のための規制または施設に関する計画(公園計画)およびこの計画にもとずいてなす事業の執行(公園事業)は、厚生大臣が所定の手続を経て決定(法一二条)し、国が執行する(法一四条一項)こととなつており、公園利用のために必要な道路および橋は、公園事業となる施設の一つとして取扱われている(施行令四条一号)。そして公園事業として施設を設置し、当該施設を管理、経営しようとする地方公共団体等は、厚生大臣に所定の申請をなして、その認可を受ける(法一四条二項、令七条)ことによつて、当該団体は、公園事業い一部についての執行者となるのである。このように国立公園事業の執行主体は、国、その他の所定の認可手続を経た地方公共団体等と定められている。

ところが、被告熊野市は、本件鬼ケ城公園事業の執行について上述のような認可申請手続をなしたこともなく、その執行主体としての承認を受けたこともないのであつて、いかなる意味においても法律上本件公園事業の執行主体ではない。

(2) 本件橋梁の管理主体

一般に、国家賠償法第二条にいう設置の瑕疵とは、材料の粗悪、設計の不備などによつて当該営造物が原始的に通常有すべき安全な設備性状を欠くことをいい、管理の瑕疵とは、修繕の怠慢などのため物自体が後発的に安全を欠くに至つた状態をいうものと解されているが、上述のとおり被告熊野市は、本件公園事業の執行主体ではないから本件回遊路ならびに橋梁等を設置する機能を有する行政主体でもない。本件橋梁等が公物であることについては争いのないところと考えるが、公物の管理権は、公物主体すなわち本件では公園事業の執行主体に専属する公の機能であつて、被告熊野市がそのような行政主体でないことはこれまた明白である。原告は、被告熊野市が三重県から事実上鬼ケ城の管理をまかされている旨主張するが、かりに事実上または物理的に物を把握している場合であつても、これをもつてただちに独立の管理者ということはできないのであつて、本件の場合被告熊野市は、事業執行主体に対し従属関係に立ち、その補助機関としての法的地位しか有しないのであつて、独立の管理主体ではない。いずれにしても被告熊野市は、国家賠償法二条にいう設置管理者には当らないのである。

原告はさらに仮りにしからずとしても被告熊野市は、民法七一七条により、民事責任を負う旨主張するが、国家賠償法二条の内容は、民法七一七条と同趣旨の規定であつてただ土地の工作物が国、公共団体の設置、管理するものか、私人のものかによつて適用条文を異にしているにすぎないのである。そうだとすれば上述のとおり被告熊野市は、なんらの責任も負わない。仮りに別途に民法の責任が生ずる余地のある規定であると解しても上述のとおり被告熊野市は、本件回遊路等を自己のためにする意思をもつて把握しているものではなく、仮りにこれを事実上ないし物理的に把握しているものとしても本人に対し従属的関係に立つ所持の機関ないし道具にすぎないというべきで、独立の占有者ではなく、占有補助者というべきであるから、民法七一七条にもとづく責任を負うべき筋合いではない。

鬼ケ城は、熊野灘に面していて例年土用波や台風の襲来などによつて狂瀾、怒濤と格闘を繰り返えしてきたのであるが、その形相はまことに筆舌につくしがたいもので、これによつて回遊路橋梁等の柵、欄干または橋梁自体などが流失、破損の被害を受けてきたのである。地元熊野市としては、このような事態を漫然放置するわけにはいかないのであつて、ことの是非を問わず緊急に処置すべき問題なのである。この際、三重県の指示を求め、応急的な措置を講じ、人命の損傷を未然に防ぐための努力を傾けて来たのであるが、このことが外観上、被告熊野市が管理主体の如き感を与えるとしても、内実は、三重県に被害の報告をなして適切な指示を仰ぎ、橋梁の復旧などは材木を用いて応急的な処置をとり、三重県の本格的修復工事の施工を待つのである。また工事費用は、少額の場合には請求しても支払われないのが例であるため熊野市が負担した場合はともかくとして、原則として三重県が負担しているのであつて、これらのことなどからも被告熊野市が管理主体でないことは明白である。

さらに本件事故の発生は、管理の瑕疵によつて惹起されたものではなく、それは、本件橋梁の設計に関する瑕疵によつて発生したものであつて、設置責任上の問題である。被告熊野市には、そのような橋梁の設計に関して権能も責任も存在しないのであるから、かような設置責任を負うべき筋合いでないことは多言を要しない。

(3) 本件橋梁の設置管理について瑕疵が存しない。

すなわち、公の営造物の設置または管理の瑕疵とは前述のとおりであるが、本件の場合、自然公園法の立法趣旨(傑出した自然の風景美の保護と利用の調和)、本件鬼ケ城の地形、地質などの諸事情、とくに波浪に対し最も抵抗の少ない施設の設計の必要性、復旧工事が迅速かつ簡易に処理できること、入場が無償であることその他あらゆる過去の経験を考慮することなどが、その設置管理にあたり要請されるのであるが、本件橋梁の設置管理にあたりそれらの要請は十分考慮されているのである。これを要するに本件事故の発生は、全く過去の経験から推して了解することのできないものといわざるを得ない。

二  主張(抗弁)

仮りに本件橋梁の設置管理について、瑕疵があつたとしても、本件事故の発生につき原告にも重大な過失が存在する。

すなわち、原告は、鬼ケ城はスリルに富んだ観光地であるということを旅行出発前から十分認識していた点(被告熊野市はあえてそのような宣伝をなしたことはないが)、原告等の本件旅行は「ぎつしりつまつたスケジュール」の下に分秒を惜んで場所から場所へと移動していつた底のものである点、本件現場付近のもつている絶壁、岩の亀裂等に対し、十分認識しておりながらそれに対し注意を怠つている点(これは帰り途で本件事故が発生していることからも明白である)、飲酒酩酊の上での事故である点、および原告は強度の近視であつて、一行と行動を共にすべき場所でないことを予見し得たはずである点等からして明白である。

(被告ら主張の抗弁に対する原告の答弁)

被告らの過失相殺の主張を否認する。

原告には、被告らが主張するような過失はない。

第三 証拠<略>

理由

一原告が、昭和四三年一〇月三〇日午前一一時三〇分頃三重県熊野市所在吉野熊野国立公園特別地域の鬼ケ城に設けられた本件周回路の通称犬もどり橋から約三〇メートル西方にある本件かけ橋から転落し負傷したことは原告と被告三重県との間に争いがなく、原告と被告国および被告熊野市との間に於ては右事実の内原告が転落したのは本件かけ橋からであるとの点を除く、その余の事実は争なく、原告が本件かけ橋から転落したことは証人矢須修の証言によりこれを認めることができる。

二<証拠>を綜合すると、原告は昭和三五年頃から訴外株式会社いづも電化工業所にメッキ工として勤務していたものであるが、昭和四三年一〇月二九日、右訴外会社主催の慰安旅行に参加し、約二〇名の同僚らと共に同日午前九時頃大阪市の天王寺駅を出発し、同日午後那智の滝、熊野権現神社等を見物、参拝し、同夜は勝浦の温泉ホテルで一泊し、翌朝午前八時頃から遊覧船による見物をし、それから貸切りバスで同日午前一一時頃熊野市の観光地である鬼ケ城に着き、同所東入口から入り通称千畳敷を経て本件周回路を通り、奇岩、絶壁等見物しながら右千畳敷より西方約二〇〇メートル附近まで行つたところ、先頭の者ら(中野某、岡本某、原告は三番目に歩いていた)が、「どこまで行つても同じだから引き返そう」と言い、これに応じて原告も引き返して歩行中、千畳敷から約一七〇メートル西方の本件かけ橋(巾約一メートル、深さ約五メートルの崖の裂け目にかけられた橋で、当時海側の長さ約2.31メートル、山側の長さ約1.2メートル、巾員約0.875メートル)にさしかかつた際、誤つて左足を踏みはずして転落し、約五メートル下の岩で背部を強打し、第八、第一一胸椎骨折、骨盤骨折、背髄損傷による下半身麻痺の重傷を負つたものであること、が認められる。

三そこで、本件転落事故と本件周回路の設置管理の瑕疵の点について考察する。

1  <証拠>を綜合すると、

(一)  本件周回路のある鬼ケ城は、三重県熊野市の大平洋に臨んだ東西約一キロメートルにわたる高さ数十メートルに及ぶ断崖で、波濤の侵蝕により生じた奇岩あるいは洞窟の連続するところで、吉野熊野国立公園に属し、文化財にも指定されている景勝地で、熊野市の殆んど唯一の観光資源であるが、国鉄紀勢線の開通、国道四二号線の改修がなされるまでは交通の不便等のため、観光客は比較的少く、そのため国も三重県も熊野市も別段の施設を設けず、観光客の意思で、通り易いところを選んで岩を渡り歩く程度であつたが、時に高波にのまれる等の事故も生じていたが、交通が便利になるに伴い観光客も増加して来たので、地元である被告熊野市の強い要望があり、被告三重県も観光産業の振興から被告国(厚生省)にその実現を要望し、その承認の下に、主として被告三重県が、昭和二九年頃右崖の中腹(海面から十数メートルないし二〇メートルの高さのところ)に岩をけずり、岩の亀裂したところには橋をかける等して、巾員七〇ないし八〇センチメートル、長さ約一キロメートルの本件周回路を設置したもので、転落等の事故防止施設としては、海側のみに直径約二センチメートル、高さ約七〇センチメートルの鉄の柵が設けられていたが、山側は、崖の中腹をけずつて造成された関係から柵の必要性はなく、岩の亀裂箇所に設置されかけ橋の部分についても、柵は海側のみに設けられ、山側には設けられていなかつたこと

(二)  その後、台風等の場合、本件周回路も高波に襲われ、右の柵がもぎとられたり、あるいは曲げられたり、また、橋の部分について橋そのものが波に持ち去られたりする損害が生じ、その都度被告熊野市から被告三重県に報告するとともに、概ね被告熊野市が自ら修理して来たもので、本件かけ橋についても同様であること

(三)  本件周回路のごとく鬼ケ城に設けられた施設の費用の負担については、施設の新設の場合は、国が補助金として概ね二分の一を、残りの二分の一を三重県と熊野市が負担してきたものであり、(もつとも熊野市は受益者〔自然公園法二七条〕として寄附金名下で予算にに計上し、三重県に交付していた)、補修等については、軽微なものはその都度三重県に報告したうえ、熊野市がその負担の下に補修してきたもので、その明細は別表記載のとおりで、これらの費用は毎年予算に計上支出されており、さらに観光宣伝のパンフレットの作成配布、鬼ケ城東入口附近にある熊野市観光協会(その事務局長は熊野市の観光課長が就任している)の資料館の職員に、同市の嘱託として鬼ケ城一帯の見廻り、危険な場合の入場制限等をさせて来たなお昭和四五年度においては、市費約一、三〇〇万円を投じて鬼ケ城東入口までの市道を改修した)こと

(四)  本件周回路は数十メートルの海に面した絶壁状の崖の中腹を削つて造られた関係から、山側は一般に安全であるのに、本件かけ橋は山側においても元来転落の危険性がある箇所であり(本件かけ橋は崖の巾約一メートル、深さ約五メートルの深い亀裂を有する箇所にかけられており、本件事故当時の橋の巾は0.875メートルであつた)、従つて、事故防止のためには海側に柵を設けることは勿論、山側にも柵ないし同様の効果を有する施設を設けることが転落事故防止のため通常必要で(本件事故当時、海面に柵を設けてあつたことにより、橋を渡る際に歩行者が注意して右の柵を頼りにすれば、山側より転落する危険性が大いに減少したと言えるが、これと安全性を保つための設備管理を本来なすべき本件橋の山側においてこれをしない瑕疵の有無とは、観点を異にすべき問題である。)、しかも、右の柵ないし施設は自然公園の性質上できるだけ人工を排し工作物はこれを設置する必要最小限度に止められるべきであるとする要請を害するものでなく、かつ、その工事内容は極めて容易であり、工事費も亦極めて少額ですむものであること

以上の事実が認められ、他に右認定事実を左右するに足りる証拠はない。

2  右認定事実からすると、原告が本件かけ橋から転落したことは、原告に不注意の過失があつたこと(しかも、その程度は重大であること)は否定できないけれども(被告三重県は、「原告が本件かけ橋から転落したのは、(イ)写真を撮ろうとしていた、(ロ)当時飲酒していた、(ハ)強い近眼であつて眼鏡が適合していなかつた、(ニ)てんかんの発作等が原因ではないかと疑問を述べ被告熊野市も右(ロ)及ぶ(ハ)の点主張するが、<証拠>を綜合すると、右(イ)ないし(ハ)の事実はすべて認められず〔もつとも近眼であることは認められる〕、また右(ニ)の点については、<証拠>により、原告は大阪市立住吉市民病院に入院中、軽いてんかんの発作を起したことは認められるが、右証人は、「本件転落事故がてんかんの発作によるということは考えられない」旨供述しており、また、原告は昭和三五年頃から本件事故発生まで引続き前記訴外会社に勤務していたものであるが、その間(約八年間)にてんかんの発作を起したことは全く認められないから、被告三重県のこの点の主張も認め得ない。<反証排斥―略>)、前記認定のとおり危険な本件かけ橋の山側に転落防止施設を設けていなかつたという点で国家賠償法第二条にいう営造物の設置管理の瑕疵が存したというべきであり、そして本件周回路の設置管理の責任は、後記のとおり被告国、同三重県、同熊野市のいずれもが負つていると認めるのが相当である。

3  被告国は、本件周回路の設置管理者は被告三重県であつて、被告国ではない、旨主張し、被告熊野市も同様に、熊野市は本件周回路の設置管理者ではない、と主張するので按ずるに、

(一) まず被告国についてみるに、なる程本件周回路は前認定のとおり、熊野市の要請で三重県が自然公園法一四条二項により厚生大臣の承認を受け、同法二六条により国の補助を得るとともに、熊野市からの寄附金を受入れて造成したものであるが、右周回路はあくまで国立公園に属し、被告国(厚生大臣)が右周回路の設置管理について無権限となる筋合いはなく、却つて、国立公園の計画、事業決定、その廃止、変更、一般的事業執行等の権限は被告国(厚生大臣)が有すること同法の明定するところである(一二条以下)。

そうであれば、国家賠償法二条による営造物(本件周回路)の設置管理の責に任ずるものであると認めるべきである。

(二)  次に、被告熊野市についてみるに、同市が現実に本件周回路の設置管理に努めて来たことは前認定のとおりであり、鬼ケ城が同市の唯一の観光資源とも言いうるところで、観光客の来訪は同市の発展に寄与するところ大であり、そのためパンフレットを作成配布するなど観光客の誘致を図つて来たものであり、したがつて、同市は自然公園法二七条にいう受益地方公共団体であるといえる。そして、同条二項の手続を経由したか否かは別論として、右のような関係から、本件周回路についても、その当初の造成は前認定のとおり三重県であるが、その後の補修等については毎年熊野市の予算に計上支出し、その維持保存に努めて来たものであり、本件事故当時における本件かけ橋も被告熊野市がかけかえたものである。

ところで、国家賠償法二条にいう公の営造物の設置、管理は国または公共団体が事実上これをなす状態にあれば足り、必ずしも極限にもとづくことを要しないと解すべきところ右のとおり、被告熊野市が、三重県並びに熊野市議会の承認の下に、本件周回路の設置管理を現実になして来たものである以上、同条にいう営造物(本件周回路)の設置管理の責を負うものと認めるのが相当である。

四以下、原告主張の損害額について判断する。

(一)  <証拠>を綜合すると、原告は昭和一二年二月一九日出生し、昭和三五年頃から引続き株式会社いづも電化工業所にメッキ工として勤務し、欠勤も殆んどなく健康で真面目に働らいていたもので、本件事故当時月収は概ね金五万八〇〇〇円を得て、妻及び長男(事故当時二才)と共に平穏に生活していたものであるところ、本件事故により第八、第一一胸椎骨折、骨盤骨折、背髄損傷による下半身麻痺の重傷を受け、意識不明の状態で熊野市の小林進医師の手当をうけて後、大阪市立住吉市民病院に入院し、爾来同病院で加療中であるが、昭和四五年一〇月三〇日現在、病臥したままの状態で、排尿、排便をなし得ないことは勿論、自力で寝台上に上半身を起すこともできない状態で、今後なお長期の入院加療を要するうえ、下半身麻痺の症状は回復不能(たとえば歩行、自然の排便、排尿機能等生涯回復不能)であり、将来訓練により最も良好な状態になり得たとしても、松葉杖と装具を使用し最大限二〇〇ないし三〇〇メートル歩きうる可能性があるに過ぎず、終生稼働能力は勿論人間としての行動機能が極端に制約される悲惨な症状であることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

(二)  右認定事実のうえに具体的損害額を検討する。

(1)  得べかりし利益喪失による損害

原告は、前認定のとおりその労働能力全部(一〇〇%)を喪失し、これにより得べかりし利益喪失による損害額は、本件事故後である昭和四四年九月三日現在(この点原告の主張による)で、年令三一才で運輸省発行「政府の自動車損害賠償保障事業損害査定基準」によれば本件事故なかりせばなお六三才まで稼働可能と認めるのが相当であるから、稼働残年数は三二年あり、これに前認定の一ケ月当り収入金五万八〇〇〇円をホフマン式計算法により法定利率による単利年金現価率18.8を乗じて中間利息を控除した金一、三〇八万四、八〇〇円であること計数上明らかである。

(2)  付添人を要することによる損害

前認定のとおり、原告の下半身麻痺の症状は生涯回復不能であり、付添人の看護の下でのみ生活し得るに過ぎないから、付添看護に要する費用は本件事故による損害であり、その費用は諸般の事情を考慮し一日金一、二〇〇円と認めるのが相当であり、そして原告は「厚生省第一二回生命表」によるとなお平均余命39.97年を有するから、これをホフマン式計算法により法定利率による単利年金現価率21.6を乗じて中間利息を控除した金九三三万一二〇〇円が右の損害額となること計数上明らかである。

(3) 慰藉料

前認定のとおり、原告は金銭に評価し難いほどの重大な身体的傷害を負い、表現し難い精神的苦痛を蒙つたものであるが、諸般の事情を考慮し、この苦痛を慰藉するには金五〇〇万円をもつて相当と認める。

(4) なお、原告は、雑費として「原告の姉が昭和四四年九月三日までに原告のため支出した治療関係諸雑費約四〇万円を原告の損害として請求する」旨主張するが、右数額を確定するに足る証拠はなく、したがつて、原告のこの点の主張は認め得ない。

(三)  そうすると、原告主張の本件事故による損害は、右認定の(1)ないし(3)の合計金二、七四一万六〇〇〇円については認められるが、その余は認め得ないというの外はない。

五過失相殺の主張に対する判断

被告らはいずれも、仮に被告らに本件周回路の設置管理の瑕疵が認められるとしても、本件事故は原告の過失によるところが大であるから、損害賠償額について斟酌せらるべきである旨主張するので検討するに、上記認定の諸事情を考慮すると、本件転落事故の発生は、被告等の本件周回路の設置管理上の瑕疵とともに、原告の不注意(その程度は大である)もこれを否定し得ないところである。

そこで、上記認定の諸事情その他諸般の点を考慮すると、原告に対する本件事故による損害賠償額は、金七〇〇万円をもつて相当と認める。

六以上の次第で被告らに対する原告の本訴請求は金七〇〇万円及びこれに対する被告国は昭和四四年一〇月一三日以降(訴状送達の日の翌日)、被告三重県、同熊野市はいずれも同年同月一四日以降(各訴状送達の日の翌日)、各完済まで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で正当として認容すべきも、その余は理由がなく棄却を免れない。

よつて、訴訟費用の負担について民訴法第九三条、第九二条を、仮執行及びその免脱の各宣言について同法第一九六条を、各適用して主文のとおり判決する。

(井上三郎 矢代利則 弓木竜美)

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